金融、経済のブログ 何を書こうか?
はじめに
今回は、今もやもやしていることについて書こうと思う。
だから内容も、もやもやする。
まず、近況ついて
この1ヶ月、相場に張り付いていた。
それは、初めて挑戦していたオプション取引と向き合っていたからだった。
結果を書くと惨敗。悲しいくらいの惨敗であった。
ということで、その反省文について、ブログにざっくりと書こうかと最初は思った。
しかし、そんなものは、誰も見ない日記帳にでも書けば充分だな。
そんなことも思い、もやもやしてしまった。
日記帳に書くべき内容を少し
ここ1ヶ月程度、投機を行っていた。
そして、先程言ったように失敗した。
ただ、失敗した中でも得るものも多かった。
自分は、投資(投機)をするに当たって、ざっくりとした相場動向(相場観)を予想してからポジションを取っている。
簡単に言えば、割高か、割安かである。
今回、自分が最初に予想していたところから、大きく外れていなかった。
失敗した理由は、相場観ではなく、相場に夢中になるにつれて、余計な雑念が入り、自滅して損したという感じだった。
その失敗談の詳細は、書かない。
その内容は、結局のところ、相場に向き合っている人は皆知っている情報だし、そして、無関係の人には、どうでも良い情報だとも思った。
失敗した理由は、ざっくり書くにとどめる。
ざっくり言うと、欲張って失敗しただけだ。
世間話で相場、金融の話をしない理由
少し話が変わって、私が身近な人に相場について話すことはあまりない。
まず日本では、
- 相場や金融の仕事(投資)はギャンブルである。
- よくわからないから近づかないでおこう(無関心)
という人が多いと、思っているからだ。
それは、日本の風土なのかもしれない。
あるいは、バブル期の反動なのかもしれない。
かつて、日本人がバブルで沸いていた頃。
具体的には、NTTが新規上場株になった頃(1987年)は、世間が大いに賑わったと言われている。(経験はしてない)
当時、日本では、私はNTT株を買えた、買えなかったという話を周囲にしていたそうだ。
しかし、そんなバブルは長く続かず、どうなったかというと、ご覧の有様である。
日本は、その頃を教訓としているのかもしれない。
あの頃浮かれていたのは、全て間違いだった。そして、その原因となった金融は悪なのだ。
さらに、日本では、【労働は美徳である】という話も良く聞く。
これは、一体いつ頃から根付いているのはわからない。
そんな風土の中、金融は、ラクして儲ける分野だという考えの人もいるだろう。そうなると、やっぱり金融は悪者である。
人の意見は様々だと思うが、日本全体はそういう風土だと思う。
それが、日本全体での意見だと、自分の中で固まってしまっているのだ。だから、金融、相場についてあまり周り話さなかったし、これからも、話す人は限定していこうと思っている。
それに、自分の中でも、その風土はある程度は正しいと思っている。
金融には、ギャンブルの要素もあるし、ラクして儲けようという要素もあると思っている。金融が素晴らしいなんて考えは、自分にも、実はあまりない。
何が言いたいのか?
もしも、金融(相場)が、世間と全くの無関係なら、そもそも自分も興味を持たなかったと思う。
ただ、残念ながら、金融は日常に影響を与える。
少し考えても、2つ出てくる。
- 労働(雇用、賃金、リストラ)
- 物価
である。
だから、株価が上がる下がるだけで収束するなら、それほど問題ではない。
しかし、金融市場の影響は、現在、そういう風になっていない。
それに、金融や経済は、日本の政治とも密接に関わっている。
特に、現在の安倍政権は顕著だと思う。
今年のGWで、麻生財務大臣が、何度為替介入を示唆したのか。
別に数えたわけではない。GW後半に、ほぼ毎日言及していたと思う。
政府が、この数年で、どういう政策を行っていたのか。
間接的に株価を上げるための政策と疑問視されるものがあったのではないか?
そういう疑問は、相場を見ていたら自然と浮かんでくる。でも、きっと金融に興味ないほど、知らないことは多いように感じる。
だから、日々相場を見ているからこそ、発信できること。
そしてあまり相場屋さんも、書かなそうな内容を書けたら良いなと思う。
それは、とても難しいので失踪して終わりそうではある。
しかし、目標は大きく持てば良いかなと。目標を持てば、このブログの雰囲気も変わるかなと。
そうお茶を濁して、いったんおしまいにしたい。
最後に
来週の相場、これまた荒れそうな展開なんだよ…